よくある誤解世界はよく「終点に着いた」と読まれる。だが語っているのは完成だ。そして完成のあとの次のカードは愚者だ——ひと巡りを終えれば、次の巡りがゼロから始まる。だから「それで、次は?」というあの空っぽさは、このカードがもともと携えているものなのだ。
もっと深く世界審判が二十で起き上がるなら、世界は二十一で円満だ。カードでは一人の人が花輪の中で踊り、手には二本の杖(魔術師は一本だけだった)、四隅には運命の輪のあの四つの生き物がいる。この構図は旅全体をひとつにまとめている。花輪は円(ゼロの形に戻る)、二本の杖は魔術師の力が倍になったもの、四隅は輪の上の動かない四点だ——まるごと一周して、あなたは輪の中心の、回されない人になった。二十一は三の七倍だ。創造が七つの試練をくぐり抜けたということだ。あなたがそれと気づくのは、ひとつの大きなことが本当に完成したとき、全体としてのまとまりを感じるとき、自分が誰で何をしてきたかがわかっているとき、そして「この区間はもう下ろしていい」という瞬間だ。このカードが語るのは完成だ——勝つことではなく、歩き終えることだ。うまく流れているとき、世界はもっとも完全な状態だ。自在で、感謝があり、あらゆるものとつながっている。行き詰まるとき、その問題は円満の中にとどまってしまうことだ——完成を永遠のものと思う、次の愚者の不確かさに入ろうとしない、あるいは逆にいつまでも「まだ少し足りない」と感じて完成を認めない。花輪は開いていて、その人は踊っている。完成は動的なもので、それ自体が次の出発なのだ。