ワニ Imix · 風 Ik’ · 夜 Ak’b’al · 種 K’an · 蛇 Chikchan · 死 Kimi · 鹿 Manik’ · 星 Lamat · 水 Muluk · 犬 Ok · 猿 Chuwen · 道 Eb’ · 葦 B’en · ジャガー Ix · 鷲 Men · 梟 Kib’ · 大地 Kab’an · 燧石 Etz’nab’ · 嵐 Kawak · 太陽の主 Ajaw
マヤの二十の日の紋章のすべての言葉を、それが何か・あなたにとって何を意味するかの二文と、よくある誤解の一文で説明する。
ワニ Imix · 風 Ik’ · 夜 Ak’b’al · 種 K’an · 蛇 Chikchan · 死 Kimi · 鹿 Manik’ · 星 Lamat · 水 Muluk · 犬 Ok · 猿 Chuwen · 道 Eb’ · 葦 B’en · ジャガー Ix · 鷲 Men · 梟 Kib’ · 大地 Kab’an · 燧石 Etz’nab’ · 嵐 Kawak · 太陽の主 Ajaw
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ツォルキン暦の二十の日の紋章は決まった順番で並ぶ一本の列だ。どの紋章も前のひとつに続き、二十でひと巡りし、一から十三の数と組み合わさって、二百六十日で一周する。紋章はその日がどんな力を帯びているかを語り、位置はそれがどこから来てどこへ向かうかを語る。ワニ Imix は最初の紋章だ――すべてが始まる前に、まず大地がなければならない。マヤの創世神話では、大地は原初の水に浮かぶワニ(あるいは巨大な亀)の背中であり、Imix はその背中にあたる。まだ何も分かれておらず、何も育っていないが、すでに支えている。
だから Imix の仕組みは支えることだ。それは源であり、母体であり、後に続く十九の紋章が立つための土台である。そのイメージは養うことでもある――原初の水、乳房、雨。
どこでそれに気づくか。まず人を受け止める癖があり、他人の必要にはすぐ反応するのに自分の必要には反応が遅く、「すべては自分から始まる」という深い責任感がある。うまくいっているとき、あなたは人々の土台になる。安定していて、包み込み、物事を始められるようにする。行き詰まるときは押しつぶされる――支えすぎて、誰があなたを支えているのかを忘れ、あるいは底にある不安から何ひとつ手放せなくなる。列の中で Imix の次は風 Ik’ だ。大地ができたら、次は言葉と息が入ってくる。あなたの次の一歩は、さらに多くを支えることではなく、自分の上から何かを伸ばしていくことだ。
風 Ik’ は二十の紋章の二番目で、ワニ Imix の次に来る。大地ができたら、次は息が要る。マヤ神話では創造の神々は言葉で物をつくった――名を口にすれば、それは存在する。Ik’ はその息であり、その言葉でもある。字形は T 字型の窓で、風がそこを通り抜ける。
だから Ik’ の仕組みは伝えることだ。息、声、言葉、ひらめき、知らせ、変化。風の性質は止まらず、占めず、留まらないこと――物事を動かして、それから去っていく。それが強みであり、難しさでもある。風はすべてを動かせるが、何ひとつつかめない。
どこでそれに気づくか。考えが浮かぶとすぐ話したくなり、伝えることや人を巻き込むことが得意で、じっとしていられず、息が詰まるような環境に耐えられず、約束にはどこか落ち着かなさを覚える。うまくいっているとき、あなたは物事を生き返らせる一息になる。新しいものを運び、停滞を吹き散らし、人と人をつなぐ。行き詰まるときは散らばるか、傷つける――話すのが速すぎて多すぎ、自分の変化に疲れ、あるいは風が強すぎて倒れるべきでないものまで倒してしまう。列の中で Ik’ の次は夜 Ak’b’al だ。風が吹き抜けたあとには静けさが来る。あなたの次の一歩は、もう一度吹くことではなく、口にした言葉が地に落ちるまでの時間をとることだ。
夜 Ak’b’al は二十の紋章の三番目で、風 Ik’ の次に来る。風が吹き抜けたあと、日が暮れて、静かになる。字形は家の内部、あるいは覆われた顔だ――マヤの人々は夜を家や体の内側、地の底と結びつけた。どれも外からは見えないが、中で何かが育つ場所である。
だから Ak’b’al の仕組みは内側と潜伏だ。夢、直感、まだ口にしていない考え、種が土の中にいる時間。その力は見られないことにある――観客がいないときにこそ、人は本当に考える。難しさもそこにある。暗闇の中では何でもありうる、恐れも含めて。
どこでそれに気づくか。ひとりのときがいちばん頭が澄み、豊かな内面世界を持ち、よく夢を見て、見られながら作業することがひどく居心地悪く、急かされると頭が止まってしまう。うまくいっているとき、あなたはいちばん深い人だ。考え抜き、他人には感じ取れない層を感じ取り、暗闇の中で人の道しるべになれる。行き詰まるときは闇に飲み込まれる――考えすぎて動けず、恐れを真実と取り違え、内側にこもって出てこられなくなる。列の中で Ak’b’al の次は種 K’an だ。暗闇の中で育まれたものが、次は手のひらに握られる。あなたの次の一歩は、もっと深く考えることではなく、考えたものをひとつ外に取り出すことだ。
種 K’an は二十の紋章の四番目で、夜 Ak’b’al の次に来る。暗闇の中で育まれたものが、いま手に握られている。K’an は「トウモロコシ」でもあり、「熟した、黄色い、貴重な」という意味も持つ――マヤの人々にとってトウモロコシは単なる食べ物ではなく、人はトウモロコシからつくられた(『ポポル・ヴフ』の神話)。だから K’an が語るのは命の原料だ。
だから K’an の仕組みは潜在力と豊かさだ。一粒の中に一本の木がまるごと詰まっていて、まだ開いていない。その力は密度にある――小さな一粒に多くが詰まっている。難しさも密度にある――一粒の種は何にでもなりうるから、まだ何者でもなく、握りすぎると乾いてしまう。
どこでそれに気づくか。アイデアが多く、可能性にわくわくし、ひとつ選ぶことに少し抵抗があり、まだ始めていない計画をたくさん抱え、豊かさにも欠乏にも人一倍敏感だ。うまくいっているとき、あなたはもっとも生産的な源になる。蒔きさえすれば、多くの人より多くのものを育てる。行き詰まるときは握ったまま蒔かない――可能性を集めるばかりで決めず、あるいは蒔きすぎて種同士が土を奪い合う。列の中で K’an の次は蛇 Chikchan だ。種が土に入ったあと、次は体の中を上へと突き抜ける力が来る。あなたの次の一歩は、もう一粒手に取ることではなく、一粒を選び、手を放し、土に入らせることだ。
蛇 Chikchan は二十の紋章の五番目で、種 K’an の次に来る。種が土に入ったあと、次は体の中を上へと突き抜ける力が来る。マヤの蛇はエデンの園の蛇ではない――それは生命力であり(背骨や血、雨季の稲妻と結びつけられる)、天の羽毛の蛇 K’uk’ulkan、天と地をつなぐ通り道でもある。
だから Chikchan の仕組みは本能と生命力だ。まず体が知り、頭はあとから追いつく。その力はまっすぐさにある――回り道をせず、考えず、ただ感じ取る。難しさもまっすぐさにある――本能は鋭いが理由を持たないので、それを証拠として扱うと誤る。
どこでそれに気づくか。直感が強く、体の反応が速く、人に対してわけもなく好き嫌いがあってあとからそれが正しかったとわかることが多く、エネルギーに波があって、その振れ幅が大きい。うまくいっているとき、あなたはもっとも生命力にあふれている。熱く、正直で、人を引きつけ、エネルギーが余って人に分けられるほどだ。行き詰まるときは本能に引きずられる――衝動的になり、感覚を判断と取り違え、あるいは体を抑えつけすぎて調子を崩す。列の中で Chikchan の次は死 Kimi だ。力が頂点まで上ったあとは、手放すことが来る。あなたの次の一歩は、さらに力を込めることではなく、この力をいつ通り過ぎさせるべきかを知ることだ。
死 Kimi は二十の紋章の六番目で、蛇 Chikchan の次に来る。生命力が頂点まで上ったあとは、手放すことが来る。字形は目を閉じた頭だ。マヤの人々の死生観は現代とはかなり違う――死は通り道であり、祖先は向こう側から関わり続け、トウモロコシの神は毎年死んでは蘇る。だから Kimi が語るのは変容だ。ひとつのものが終わって、はじめて次のための場所が空く。
だから Kimi の仕組みは終わりと解放だ。締めくくり、手放し、過去とのつながり、そして特別な静けさ――動く必要のない静けさを司る。その力は恐れないことにある。終わりに向き合える人は、多くの人より一歩早く自由になる。難しさは早すぎること、冷たすぎることだ――まわりがまだ準備できていないのに、あなたはもう片づけ始めている。
どこでそれに気づくか。締めくくりを恐れず、もう歩き終えたことにとても敏感で、過去や祖先にどこか親しみを感じ、人があわてているときに静かでいられる。うまくいっているとき、あなたは人が手放すのをもっとも上手に助けられる。終わりに寄り添い、変容を見届け、死んだものが本当に場所を空けるようにする。行き詰まるときは、早すぎる埋葬か、手放せないかだ――まだ生きているものを終わったものとして扱い、あるいは逆に亡骸を抱えて離さない。列の中で Kimi の次は鹿 Manik’ だ。手放したあと、手が空いて、仕事ができるようになる。あなたの次の一歩は、さらにもうひとつ終わらせることではなく、空いた手で新しいものを受け取ることだ。
鹿 Manik’ は二十の紋章の七番目で、死 Kimi の次に来る。手放したあと、手が空いて、仕事ができるようになる。字形は鹿ではなく手だ――親指とほかの四本の指を合わせて握る、その動作である。鹿はマヤにとってもっとも重要な獲物であり、狩りの神の象徴でもある。だから Manik’ が語るのは、安定した手と正確な狩りの両方だ。
だから Manik’ の仕組みは手の感覚と完成だ。練習によって、体が覚えることによって、一つひとつつくり上げることによって進む。その力は安定にある――つくったものはしっかり立つ。難しさは遅さにある――速くはなれないので、突っ走る人と距離を競えばたいてい負ける。
どこでそれに気づくか。手を使うことが好きで、練習に根気があり、よくできていることに自分なりの基準を持ち、人の雑さに少し我慢ならず、時間はかかるが仕上がればとても頑丈だ。うまくいっているとき、あなたはもっとも頼れる職人になる。物事を形にし、最後までやり遂げ、人に奪われないものにする。行き詰まるときは、握りすぎるか遅すぎるかだ――完璧主義で手を出せなくなり、あるいは手の感覚を盾に新しいやり方を拒む。列の中で Manik’ の次は星 Lamat だ。手でつくったものは、次に人の目に触れ、人を集める。あなたの次の一歩は、もう一度磨くことではなく、仕上がったものを外に出すことだ。
星 Lamat は二十の紋章の八番目で、鹿 Manik’ の次に来る。手でつくったものは、次に人の目に触れ、人を集める。Lamat は金星だ――夜明け前にもっとも明るい星で、マヤの人々は金星の動きを一日以内の精度で追い、戦いや収穫の時期と結びつけた。字形は中心を囲む四つの点で、ウサギ(多産)や実ったトウモロコシ畑とも読まれる。
だから Lamat の仕組みは倍増と集まりだ。あなたのまわりでは物事が増えていく――友人、機会、物、そして厄介ごとも。その力は引き寄せることにある。あまり力まなくても人がやってくる。難しさも引き寄せることにある。何でもやってきて、どれを残すべきか見分けられない。
どこでそれに気づくか。人に好かれ、まわりがいつもにぎやかで、機会には困らないが多すぎることがよくあり、美しさや豊かさを自然に好み、孤独には少し抵抗がある。うまくいっているとき、あなたはもっとも豊かさをもたらす人になる。まわりを育て、よいものを分け与え、あなたがいることで場がよくなる。行き詰まるときは多さに溺れる――何でも引き受け、何でも残し、量を価値と取り違える。列の中で Lamat の次は水 Muluk だ。星が満ちたあと、次は感情が満ちてあふれる。あなたの次の一歩は、もう少し増やすことではなく、満ちる前に選ぶことだ。
水 Muluk は二十の紋章の九番目で、星 Lamat の次に来る。満ちたあと、感情が満ちてあふれる。字形は中に点のある円だ――一滴の水、一粒の翡翠の玉。Muluk は捧げものの水であり、雨であり、翡翠(マヤでもっとも貴いもの)でもある。感じることと価値を同時に語っている。深いものは貴い。
だから Muluk の仕組みは深さとあふれだ。あなたは人より深く、人より早く感じる。縁まで満ちたコップのように、少し揺れればこぼれる。その力は感受性にある――人が受け取れないものをあなたは受け取る。難しさも感受性にある――満ちているときは、ひと言が人を傷つける。自分自身も含めて。
どこでそれに気づくか。感情が深くやってきて、空気の変化にとても敏感で、何かあると人より早く気づくことが多く、消化するのに時間が必要で、感謝も負い目も人一倍重く感じる。うまくいっているとき、あなたはもっとも感情に深みのある人になる。寄り添い、わかり合い、感じたことを価値あるものに変えられる――作品、儀式、関係に。行き詰まるときは、あふれるか、こらえるかだ――小さなことですぐあふれ、あるいはあふれないように何も感じないようにする。列の中で Muluk の次は犬 Ok だ。感情があふれたあと、次は忠誠と寄り添いが来る。あなたの次の一歩は、もっと感じることではなく、この一杯の水を受け止めてくれる人を見つけることだ。
犬 Ok は二十の紋章の十番目で、水 Muluk の次に来る。感情があふれたあと、次は忠誠と寄り添いが来る。マヤの犬には特別な役割がある――死者を連れて地下の川を渡る、魂の道案内だ。家族一人ひとりを見分ける家の動物でもある。だから Ok が語るのは見分けることだ。自分の人を見分け、家への帰り道を見分け、守るべきものを見分ける。
だから Ok の仕組みは忠誠と導きだ。あなたは多くの人より長くとどまり、あなたと一緒にいる人は方向を感じられる。その力は頼もしさにある――あなたがいれば、人は安心する。難しさはとどまりすぎることだ――もう離れるべき関係、もう値しない人を、あなたはまだ守っている。
どこでそれに気づくか。友人やパートナーにとても忠実で、裏切りにひどく傷つき、強い帰属の欲求があり、グループの中で人を呼び戻す役になることが多く、かえって自分の必要にはあまり目を向けない。うまくいっているとき、あなたは最高の仲間であり案内人になる。人に家を、方向を、離れていかない誰かを与える。行き詰まるときは、守る相手を間違えるか、自分がなくなるまで守るかだ――忠誠が離れられなさに変わり、人の道を自分の道と取り違える。列の中で Ok の次は猿 Chuwen だ。忠誠が落ち着いたあと、次は遊びと創造が来る。あなたの次の一歩は、さらに固く守ることではなく、それほど律儀でない楽しみを少し自分に許すことだ。
猿 Chuwen は二十の紋章の十一番目で、犬 Ok の次に来る。忠誠が落ち着いたあと、次は遊びと創造が来る。マヤ神話の猿は道化役ではない――『ポポル・ヴフ』の猿の兄弟 Hun B’atz’ と Hun Chuwen は書き手であり、彫り手、画家、楽士であり、芸術と工芸の守り神だ。だから Chuwen が語るのは創造の原初の形、つまり遊びだ――手を動かし、試し、いじり回し、そうしているうちに何かができあがる。
だから Chuwen の仕組みは遊びと織ることだ。関係のないものどうしをつなぎ合わせ(猿が枝をつかみながら木から木へと渡っていくように)、時間を織って何かにする。Chuwen はツォルキン暦の中間点でもあり、二十の紋章の中で「時間の糸」を司る。その力は試すことを恐れないことにある――考えがまとまるまで待たずに手を動かせる。難しさは締めくくらないこと――遊んでいる途中で別の遊びに移ってしまう。
どこでそれに気づくか。好奇心が強く、手がうずき、多才で、できあがったものに自分でも少し驚き、決まりどおりにやることにひどく我慢がきかず、締めくくりをよく人に任せる。うまくいっているとき、あなたはもっとも創造的だ。どんなものでも材料に変え、仕事を楽しくし、人が思いつかない形を生み出す。行き詰まるときは散らかるか、無責任になる――作りかけが山積みになり、遊びを説明しなくていい理由にしてしまう。列の中で Chuwen の次は道 Eb’ だ。十分に遊んだら、次は長い道を歩く。あなたの次の一歩は、新しいおもちゃをもうひとつ開けることではなく、ひとつを選んで最後まで遊び切ることだ。
道 Eb’ は二十の紋章の十二番目で、猿 Chuwen の次に来る。十分に遊んだら、次は長い道を歩く。字形は歯のある顔で、「人」「草」「露」とも読まれる。どれも地上のもの、日常のもの、歩かれてきたものだ。マヤの白い大道 sakbe はこの字で表される。石を敷いた道が都市と都市を結び、一区間ずつ、何世代もの人が一緒に敷いてきた。
だから Eb’ の仕組みは旅と積み重ねだ。一歩で届くのではなく、たくさんの歩み、たくさんの年月、たくさんの人によって進む。その力は持久力にある――あなたは遠くまで行く。難しさは遅さにある――速くは歩けないうえ、道は歩いてできるものなので、歩き始めたときには終点が見えない。
どこでそれに気づくか。忍耐強く、人に尽くしても割を食ったとは感じず、みんなで一緒にということを自然に信頼し、共同体や受け継ぐことに感じるものがあり、あまり目立とうとしないが、いつもそこにいる。うまくいっているとき、あなたは人をもっとも遠くまで連れていける。物事を長く続かせ、集団を着実に進ませ、次の世代に歩ける道を残す。行き詰まるときは踏みつけられる――人のために道を敷きすぎて自分がどこへ行きたいのかを忘れ、あるいは歩きすぎてなぜ出発したのかを忘れる。列の中で Eb’ の次は葦 B’en だ。道をある長さまで歩いたら、何かを立てて支える必要がある。あなたの次の一歩は、もう一区間歩くことではなく、道の上に自分の目印をひとつ立てることだ。
葦 B’en は二十の紋章の十三番目で、道 Eb’ の次に来る。道をある長さまで歩いたら、何かを立てて支える必要がある。字形は編んだ敷物、あるいは実ったトウモロコシの茎だ――マヤの人々は葦とトウモロコシの茎で家を建て、敷物を編み、王笏をつくった。敷物(pop)は「権力」を表す字であり、『ポポル・ヴフ』という書名は「敷物の書」を意味する。だから B’en が語るのは支えと権威だ。屋根一枚を支え、人が寄りかかってまっすぐ立てるようにするもの。
だから B’en の仕組みは構造と導くことだ。中は空洞で、まっすぐで、節がある。その力は支えることにある――あなたのそばにいる人はまっすぐ立つ。難しさは支えすぎることだ――葦は屋根を支えるものであって、屋根を担ぐものではない。重すぎれば折れる。
どこでそれに気づくか。人が自然とあなたを柱として頼り、家や伝統に責任を感じ、姿勢がまっすぐで、やるべきことがはっきり見えていて、弱みを見せるのがとても苦手だ。うまくいっているとき、あなたはその場をもっともよく支えられる。集団に骨組みを与え、家の柱になり、乱れたものに形を与える。行き詰まるときは硬くなるか、崩れるかだ――曲がれなくなるまで支えるか、折れるまで支える。列の中で B’en の次はジャガー Ix だ。立ち上がったものは、次に静かに待つことを学ぶ。あなたの次の一歩は、もっとまっすぐ支えることではなく、重さを少し手渡して、曲がる余地を少し残すことだ。
ジャガー Ix は二十の紋章の十四番目で、葦 B’en の次に来る。立ち上がったものは、次に静かに待つことを学ぶ。ジャガーはマヤでもっとも力のある動物の象徴だ。夜の太陽であり(太陽は地下を進むときジャガーに変わる)、シャーマンが変身する姿であり、支配者が身にまとう毛皮である。その力はすべて音のなさにある。音を立てずに歩き、その一歩が来るまで待ってから動く。
だから Ix の仕組みは潜むことと精確さだ。動かないのではなく、動く前のすべての時間を観察に使っている。大地や神殿、祭壇――土地の霊ともつながっている。その力は一度で狙いを外さないことにある。難しさは待ちすぎること、あるいは待つことを向き合わなくていい言い訳にすることだ。
どこでそれに気づくか。静かで、観察力が強く、直感が鋭く、エネルギーや場の感覚がとても正確で、すぐに反応するよう迫られるのを嫌い、動き出すと人を驚かせる。うまくいっているとき、あなたはもっとも深みのある人だ。見抜き、待ちこたえ、狙いどおりに動き、人の届かない層にまでつながれる。行き詰まるときは隠れるか、冷たくなるかだ――潜むことが回避に変わり、音のなさがよそよそしさに変わり、力を自分でも使えないほど奥にしまい込む。列の中で Ix の次は鷲 Men だ。地上で十分に待ったら、次は飛び上がって全体を見る。あなたの次の一歩は、もう少し待つことではなく、もう十分に見てきたことについて、一度動くことだ。
鷲 Men は二十の紋章の十五番目で、ジャガー Ix の次に来る。地上で十分に待ったら、次は飛び上がって全体を見る。ジャガーが夜の太陽なら、鷲は昼の太陽だ――高く飛び、遠くを見て、少し冷静に見る。マヤの鷲は戦士とも、先見とも、月の女神 Ixchel ともつながっている(Men という語には「つくる、こしらえる」という意味があり、月の老女を指すこともある)。
だから Men の仕組みは視野と高さだ。上から見ると、パターンがはっきりし、方向がわかり、小さなことはとても小さくなる。その力は先見にある――人が数年後にやっと見るものを、あなたは先に見る。難しさは距離にある――高いところにいるあなたは、足もとのこと、目の前のこと、人のぬくもりを取りこぼしがちだ。
どこでそれに気づくか。物事を考えるとき引いて見る癖があり、大きな方向への直感があり、細部や雑事にじれったさを覚え、生まれつきの独立心があり、小さな枠に閉じ込められるととても苦しい。うまくいっているとき、あなたはもっとも先を見通せる人だ。全体を見渡し、集団の道しるべになり、目の前の困難をより大きな絵の中に置いて見られる。行き詰まるときは浮き上がるか、冷たくなるかだ――飛びすぎて地に降りず、「大局」を小さなことに手をつけない言い訳にし、よく見えているのに誰もついてこられない。列の中で Men の次は梟 Kib’ だ。昼のうちに見終えたら、次は暗闇の中で見る。あなたの次の一歩は、もっと高く飛ぶことではなく、降りてきて、見えたものを地上の人に話すことだ。
梟 Kib’ は二十の紋章の十六番目で、鷲 Men の次に来る。昼のうちに見終えたら、次は暗闇の中で見る。Kib’ という語は「蝋」や「ろうそく」でもある――暗闇の中の小さな光だ。マヤの人々は梟を地下や死者からの知らせ、祖先の知恵と結びつけた。許しや清めとも結びついている(いくつかの伝統では Kib’ の日に懺悔と清めを行う)。
だから Kib’ の仕組みは暗闇の中で見ることだ。口に出されないもの、表面の下にあるもの、人が見られたくないものを読み取る。その力は見通すことにある。難しさは、相手が見抜かれる準備ができているとは限らないこと――そして暗いものを見すぎると、自分も沈んでいく。
どこでそれに気づくか。人の言外の意味にとても敏感で、人が言わなかったことをよく知っていて、過去や罪悪感を深く感じ、人の闇を静かに受け止められ、どこか老成した雰囲気がある。うまくいっているとき、あなたはもっとも知恵のある人だ。許し、清め、人が自分では見られない部分をともに通り抜けられる。行き詰まるときは沈むか、刺すかだ――見えた闇に引きずり込まれ、あるいは「あなたを見抜いている」ことを武器にする。列の中で Kib’ の次は大地 Kab’an だ。暗闇の中で見終えたら、次は地上に戻り、ゆっくり動く。あなたの次の一歩は、もっと深く見ることではなく、見えたものをひとつの具体的な行動に落とすことだ。
大地 Kab’an は二十の紋章の十七番目で、梟 Kib’ の次に来る。暗闇の中で見終えたら、次は地上に戻り、ゆっくり動く。Kab’an の字義は「大地」であり、「地震」でもあり、「知識、考え」でもある――この三つを並べると、それがそのまま仕組みになる。考えは地殻のようなもので、ふだんは動かないが、動くときは一面ごと動く。マヤの人々はこれを知恵や季節、時間の深いリズムと結びつけた。
だから Kab’an の仕組みは深い思考と転換だ。考えるのに時間がかかるのは、あなたが動かしているのが表面ではなく底の層だからだ。いったん底の層が向きを変えれば、上にあるものすべてがそれに従い、引き戻すのは難しい。その力は堅実さにある――あなたの結論はしっかり立つ。難しさは遅さと硬さにある――人が待ちきれなくなり、あるいは向きを変えたあとのあなたが耳を貸さなくなる。
どこでそれに気づくか。考えを熟成させる時間が必要で、知識や理解に深い関心があり、急かされると苛立ち、考えを変えるのは難しいが変えるときは徹底していて、自然や土地とのつながりがある。うまくいっているとき、あなたはもっとも知恵のある土台になる。考え抜き、しっかり立ち、集団に漂わない地盤を与えられる。行き詰まるときは固まるか、揺れるかだ――動こうとしないか、長く抑えすぎて一度に崩れる。列の中で Kab’an の次は燧石 Etz’nab’ だ。地が動き終えたら、次は切り分ける。あなたの次の一歩は、もう一度考えることではなく、考え抜いたことを、実行できるひと言にまとめることだ。
燧石 Etz’nab’ は二十の紋章の十八番目で、大地 Kab’an の次に来る。地が動き終えたら、次は切り分ける。字形は燧石の刃、あるいは黒曜石の刃だ――マヤの人々はそれで武器をつくり、手術を行い、供犠を行い、黒曜石を磨いて占いの鏡にもした。だから Etz’nab’ は刃であり鏡でもある。真偽を切り分け、実情を映し出す。
だから Etz’nab’ の仕組みは見分けることと切り分けることだ。ひと太刀で、断面はとてもきれいだ。その力は明晰さにある――何が本物か、あなたには見分けられる。難しさは余地にある――関係や時期によっては、必要なのは明晰さではなく、まだ切らないことだ。
どこでそれに気づくか。偽りにとても敏感で、物言いがまっすぐで、混乱の中でひと言で要点を突き、なあなあで済ませることが我慢ならず、ときどきあとになって切るのが早すぎたと気づく。うまくいっているとき、あなたはもっとも誠実な鏡になる。人に実情を見せ、絡まったものを分け、人がためらう決断を下す。行き詰まるときは傷つけるか、冷たくなるかだ――切るために切り、誠実さを優しくしなくていい理由にし、切り終えてみると自分も断面の向こう側にいる。列の中で Etz’nab’ の次は嵐 Kawak だ。切り分けたあとは、解放と清めが来る。あなたの次の一歩は、もうひと太刀入れることではなく、すでに切ったところがふたたびつながるまでの時間を与えることだ。
嵐 Kawak は二十の紋章の十九番目で、燧石 Etz’nab’ の次に来る。切り分けたあとは、解放と清めが来る。Kawak は雨の神 Chaak の日だ――稲妻、雷、豪雨。雨に頼って暮らすマヤの人々にとって、それはもっとも待ち望まれ、もっとも畏れられた力だった。来なければ日照りになり、激しすぎれば壊してしまう。字形は雲と雨粒である。
だから Kawak の仕組みは溜めることと放つことだ。長く蒸したあと、来るとなったら一気に来る。急に来て、すぐ去り、過ぎたあとは空気が澄んでいる。その力は清めにある――押さえ込まれていたものを一度で片づける。難しさはコントロールにある――いつ降り出すのか、あなた自身にもわからないことが多い。
どこでそれに気づくか。感情に溜まる時期と噴き出す時期があり、噴き出したあとすぐ元に戻るがまわりの人はまだ戻っておらず、抑圧的な環境にとりわけ耐えられず、物事を「通す」力があり、通すときにしばしば人を驚かせる。うまくいっているとき、あなたはもっとも新鮮さをもたらす人になる。閉じたものを開き、偽りを押し流し、雨上がりの大地はあなたが与えたものだ。行き詰まるときは傷つけるか、干上がるかだ――雨が見当違いの人に降り注ぎ、あるいは降らせまいとして自分を干上がるまでこらえる。列の中で Kawak の次は太陽の主 Ajaw だ。雨が過ぎたら、次は正午の光、ひと巡りの完成が来る。あなたの次の一歩は、もうひと雨降らせることではなく、晴れ上がったときに、雨がいったい何を洗い出したのかをよく見ることだ。
太陽の主 Ajaw は二十の紋章の二十番目、つまり最後の紋章で、嵐 Kawak の次に来る。雨が過ぎたら、正午の光、ひと巡りの完成が来る。Ajaw は「主」だ――マヤの支配者の称号はこの語であり、太陽神 K’inich Ajaw の名でもあり、英雄の双子の父の名でもある。字形は一つの顔で、すべての紋章の中でもっとも人に近い。だから Ajaw が語るのは完成と照らすことだ。十九の紋章を歩き終えたあと、正午に立って一日を隅々まで照らす。
だから Ajaw の仕組みは中心と円満だ。あなたのいる場所は静まり、秩序が生まれ、光が差す。その力は照らすことにある――あなたは人が見えるようにする。難しさは重みにある――あなたがいるだけで存在感があり、それは特権ではなく責任で、しかも休みにくい。
どこでそれに気づくか。人が自然とあなたを中心に据え、あなたは完全にやり遂げることに高い基準を持ち、名誉や正しいことに感じるものがあり、見られているときのほうがかえって落ち着くが、疲れていないかと聞いてくれる人はめったにいない。うまくいっているとき、あなたはもっとも人を照らせる人になる。集団に中心を、器の大きさを、立つための光を与える。行き詰まるときは照りつけるか、空っぽになるかだ――明るすぎて人を遠ざけ、あるいは光を全部差し出して自分の中に何も残らない。列の中で Ajaw の次はワニ Imix に戻る。完成したあと、すべてはいちばん底からもう一度始まる。あなたの次の一歩は、もっと明るく照らすことではなく、このひと巡りをきちんと終わらせ、それから、まだ光の差していない場所に戻ることを自分に許すことだ。
マヤの日の数え方——13 の数と 20 の日符が噛み合って回り、その傍らを 365 日のハアブが進む。
言葉は入り口にすぎない。あなたにとっての意味は、自分の命式の上で初めて見えてくる。